生きていれば、いろいろ変化もする。
311のあと、太鼓を叩き始めた。フレームドラムやトンバクにハマり、コロナが始まるまでの数年間はそればっかりやっていた。
リズム楽器に真面目に取り組むようになって気づいたのは、「休符を表現するのは筋力」だということ。楽器を演奏する上で、その楽器に特有な「弾くのに必要な筋力」というのは、もちろんある。しかし、休符を表現するためには、演奏するために動かしている指や腕や足などの筋肉を「能動的」に止めないといけない。いままで動いていた筋肉を「止める」ために必要なのは、結局「筋力」なのである。筋力が無ければ、止めたいときに止まらない、という現象が起こる。そのことを理解できたことは、かなり大きな成果だ。
コロナの間、ベースを弾き始めた。最初のうちはメタルやロックのコピーが楽しかったが、そのうちジェームス・ジェマーソンやネイサン・ワッツなどもコピーし始めた。
ベースを弾くようになって、そもそも音楽の何に惹かれてきたかを思い直してみると、もちろん一言では言い表せないけれども、琴線に触れる主旋律とそこに絡むベースライン、というのはとても大きなファクターだったな、と改めて思う。
そもそも、細野晴臣さんのベースが大好きだった。YMOで言えば「東風」、はっぴいえんどでいえば「風来坊」なんかは主旋律よりもベースラインが脳裏に残るほどインパクトが強かった。細野さんのようなベースは、どうやったら生み出せるのだろう。そう思いながら、マービン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーなどの楽曲を勉強するようになった。
コロナの間、まる二年間ものあいだ家に籠もっていたために体力は落ちたし、肥満になったし、ものを考える時の思考がなんだか不明瞭になった。
これはなんとかしなきゃいけないと思い、キックボクシングのジムに通うようになった。いい年して始めるにはかなりハードルは高かったけれども、始めてから半年くらい経つとだんだん身体が動くようになったし、できなかったことが出来るようになることの悦びも味わえるようになってきた。
身体を動かす習慣が身につくと、思考ははっきりするようになったし、余計なことに気持ちが囚われることも少なくなったし、なにより、ご飯が美味しくなった。
1969年生まれの俺にとって、コロナに見舞われたあの空白の数年間は、40代から50代に乗り上げる時期とまったく重なっていた。もしコロナがなかったら、それまでどおりのペースで音楽も仕事も遊びもやり続けながらも、50代を迎えるときにはなにか感傷的な気持ちにもなったかもしれない。あの空白の時間があったおかげで、50代を迎えていたことにそれほど敏感ではなかったし(というよりもまったく気づいていなかった)いまでもあまり実感がない。
この春からは仕事も変わる。
コロナが明けてからこんにちにかけて、冷静に考えると自分にはそれなりに大きな変化が起こっていた。つい先日またひとつ歳をとり、311から13年経ったいま、自分を見つめ直してみたくなってこんな駄文を書いてみた。