[イラン音楽紹介] パリーサーという歌い手

イラン音楽には何人もの女性歌手がいますが、今回はパリーサー(پریسا)を紹介します。

かなり映像の状態は悪いのですが、イラン・イスラム革命前(78-79)に撮影されたビデオ作品だと思われます。そして、このビデオがどのような経緯でネットに上がったのかも不明ではありますが、革命後にこうした資料が大量に紛失・焼却されたことを考えると、状態が悪いとはいえ、いまこうして見ることができるというのはとても貴重なことです。

この演奏は、タール:アリーザーデ、トンバク:モルテザー・アーヤーン、サントゥール:パルヴィーズ・メシュカティアーンという、パリーサーの名盤「ダストガー・エ・ナヴァー」のメンバーによる、まさにアルバムの中の演奏をしている模様になります。

パリーサーは、1950年にイランで生まれました。ティーンエイジャーだったころ、イラン音楽の指導者のひとり、マフムード・カリーミーに見出され、そこから本格的に音楽の教育を受け始めます。ここで有名な話があるのですが、幼少期からその才能を見出されていたパリーサーではありますが、カリーミー先生は6年間ほど、彼女に人前で歌うことは許さなかったといいます。イラン古典音楽の、特に歌い手には、ただ上手ければいい、というだけではなく、きちんと音楽の真髄を聴衆に届けることができるか、ということまでが求められたことを示す、ひとつのエピソードです。

その後、革命までの間、パリーサーは国民的歌手として絶大な人気を誇るようになるのですが、革命という悲劇のあと、彼女は不遇な時期を過ごすことを余儀なくされてしまいます。95年くらいまではイラン国内で音楽の教育者として活動したあと、ようやくヨーロッパやアメリカなどで演奏をすることができるようになり、今に至ります。

パリーサーの歌声を聞いていると、ハイトーンを歌うときの声の張り方が、なんとも言えず、悲しげでもあり、彼女の確固たる信念の表れにも感じられ、何度聞いても胸に刺さってくるような感覚を覚えます。

残念ながら、現在のイランという国は、女性が音楽活動することをあまりよく思っていません。そのせいで、世に出てこない優秀な女性歌手は大勢いると思われるのですが、いかんせん、現在活動している若手女性歌手についての情報はほとんど伝わってきません。そのことを踏まえ、パリーサーがイラン随一の、などというつもりはまったくないのですが、今のところイラン音楽の女性歌手、というと、どうしてもパリーサーの名前が真っ先に出てきてしまうのです。

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